弁護人は何を守っているのか

 刑事裁判の弁護人は,依頼人である被告人を守っています。
 なんで弁護しているんだろう。被害者のことは考えないんだろうか。
 そう思う方もいらっしゃるかもしれません。
 被告人を守るのは社会正義なのか,疑問に感じる方も多いと思います。

 しかし,もし被告人の立場になったとき,自分を徹底して守ってくれる弁護士でなかったら困ります。
 攻撃する検察官に対し,被告人の立場を徹底して守る弁護士がいるからこそ,適正な裁判や刑罰が成り立ちます。

 ただ,そう説明されてもまだ違和感のある方は多いと思います。
 わたしたちが被害者に同情しやすいのは,おそらく自分の立場を被害者に置き換えやすいからだと思います。
 本当は加害者にも被害者にもなりえるのに,「自分が不幸にも被害に遭うかもしれない」と考えても「自分が道を外して犯罪を犯すかもしれない」とはふつう考えません。
 しかし,自分は犯罪を犯さないというのはまだしも,もし「自分が犯罪を疑われるようなことはない」「自分が刑事裁判にかけられることなどない」とも考えているとすれば,今の刑事司法制度の現状を知っている身から言わせてもらえば,それはかなり楽観主義的な想定です。
 そういう時に自分を守ってくれるはずの弁護士が,被害者に遠慮していたらどうでしょうか。

 シンプルに当たり前の話ですが,弁護士だって被害者に同情します。
 僕も,自分を被害者の立場に置き換えてみたら胸が張り裂けそうになるような事件の弁護を何十件と経験してきました。
 しかし,被告人の弁護人になったら,それは考えてはいけない。考えない技能が必要です。それが要求されるのです。
 被害者のために自分の技術を使うのは,被害者に依頼されたときだけです。
 その時は,徹底して加害者と信ずるところの者を糾弾するでしょう。

 こうして,弁護人は依頼人である被告人を守りながら,どんな立場の人でも自分の主張をし,自分の主張の代弁者を選ぶことのできる社会を守っているのだと思います。

 そう考えていくと,この弁護士の役割は刑事事件に限った要素ではありません。
 お互いに対等な民事のトラブル。相手の弁護士は徹底して相手に寄り添っているのに,あなたの弁護士が,あなた以外の利益のことを考えていたら,それは適切ではないでしょう。
 先日,顧問先の会社の担当者様から,「先生は刑事もしっかりやっているから信頼できる」と言っていただきました。その意図するところはわかりませんが,もし僕自身の,徹底して依頼人に寄り添うマインドを感じてくださっていたのなら,それはとてもうれしいですね。

 弁護士という仕事は,そういう仕事なんだろうと思います。


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