最近は、事実を争う刑事事件(否認事件)や複雑困難な刑事事件を担当することが多くなりました。
こうした事件はとてもやりがいがあり、弁護人として熱が入る場面の一つです。
こうした事件を担当すると、多くの事件で問題となるのが専門家の証言です。
専門家とは、例えば、精神鑑定を行う精神科医。遺体の解剖を行う法医学者などが典型的です。
法医学者は、近時では「アンナチュラル」などのドラマでも話題になりましたね。
他にも、指紋の一致を鑑定した技官や、DNAの鑑定人など、さまざまな専門家がいます。
専門家が登場する事件における私の最近の大きな関心事の一つが、
「どこまでが彼の専門的な領域か」
という問題です。
たとえば、精神科医は専門家として「被告人は統合失調症を抱えていて、この事件に影響を与えたと考えられる」と証言することができます。では「被告人の犯行の動機はこういうものであったと思われる」と証言するのはどうでしょうか。
法医学者は専門家として「被害者の死因は窒息死である」と証言することができます。では「被告人の犯行はこういう行為だったに違いない」と証言することはどうでしょうか。
これはここで簡単に結論の出る問題ではありません。事件によっても違う場合があるかもしれません。
確かなのは、専門的な判断と一般常識的な判断の間には境目があり、それは極めてあいまいな場合があるということです。酷いときには、意見のほとんどの部分の専門性が疑わしいのではないかと思われるような「専門家」もいます。
ひとたび専門家の意見として語られてしまえば、それが実は専門的な領域か疑わしいような証言でも、裁判所の判断に与える影響は大きいものです。本当に専門的な意見であるのかをちゃんと吟味して専門家を尋問し、裁判所にその意見の危うさに気付いてもらうことが大切だと思っています。
実は、こうした視点は、自分が法律相談などをするときにも心掛けています。
どういうことかというと、自分もまた専門家であることを意識しているということです。
私は、法律の専門家です。法律や裁判のことについては専門家ですから、専門的な意見を述べることができますし、きちんと専門的に価値のある意見を述べようと思っています。
しかし、法律相談では、法律問題だけでなく、法律問題ではないことについても話題になることがあります。たとえば「裁判になったら離婚が認められますか」というのは法律問題ですが「私は離婚したほうがいいでしょうか」というのは基本的に法律問題ではありません。半ば人生相談のような話題もあり、弁護士側が一定の意見を持つこともあるでしょう。
私がこういうときに注意しているのは、自分の専門的な事項ではないと感じるときにはそれを伝えるということです。たとえば「これは法律的な判断ではないので、あまり重視して考えないでください」などと注意喚起をするようにしています。私の専門的領域ではない意見で、個人の人生における判断を誤ってしまっては困ると思うからです。
専門的な事項は明確でわかりやすい助言をし、そうでない事項については謙虚に、そういう専門家を目指していきたいです。